1991年12月5日未明 ウィーンの出来事
すみやモーツァルト・ツアーから「1991年12月5日未明 ウィーンの出来事」

すみやでは 作曲家の足跡を訪ね、
オペラやコンサートを体験するツアーを 時々行なっています。
1989年、1991年、1996年、2004年、2006年 と
今回は その中で 1991年の報告です。

個人的に事前現地調査を二度行ない
会社の承認を受け 1991年 お客様に募集公開したのが8月16日。
その日はソ連でクーデターが発生しゴルバチョフ書記長が 行方不明中・・・
シベリア・ルートを飛ぶオーストリア航空の状況を気にしながらの説明会であった・・・
1週間で定員20名様となり、オーヴァーになり 申し訳ないけどお断りした方も・・・

今回の旅の目的は
「モーツァルトへの感謝とコンスタンツェができなかった事をしよう」であった。
モーツァルト命日5日の夜のレクイエムと、
8日のサルツブルグでの レクイエム
オペラでは 「イドメネオ」
室内楽では ウィーン・ビーダ−マイヤー・アンサンブル の
サロン・コンサートであった。

12月2日成田発 11日着の旅で ウィーンに着いたのが 2日夕方
夏と違い もう真っ暗。
待っていた朗報は 4日夜の ステファン教会でのレクイエム であった。
18枚チケット確保とのこと

モーツアルト1205_1
5日夜の本番は ステファン教会の広場で聞く予定だったが・・・

ゆったりしたスケジュールと 
現地とのコミニュケーションのおかげで、教会の中でのゲネラル・プローベを体験することになった。


4日夕方 ステファン寺院に・・・
司祭様が この近くで200年前 天才が神に召されましたと説教されたとき
ぐーと感激しました

モーツアルト1205_2
祭壇の前に すみやのお客さま方の
席がある
それより後方には ショルテイ指揮 ウィーン・フィルが。ソリストのオジェー、バルトリの姿もあり、コンサートマスターはヘッツェルであった。

私は、通路側にいたので、ときどき後ろを振り向いて オーケストラ、合唱団を見ていた。
テレビ録画もしていたので、カメラが祭壇とオーケストラの間を移動しつつ 撮影し、
寺院の中の聴衆は コートを着たままであった。


モーツアルト1205_4

CD、LDのジャケットには すみやのお客様18人が写っています。

POCL-5161


明日5日の本番前のゲネラル・プローベなので
中断無く 最後まで通して演奏と儀式が行なわれました。

映像ではDVDは未発で LDの中古を探してください。



このレクイエム体験のあと ホテルにもどり
有志7,8人で モーツァルト最後の家に 深夜0:30頃向かった。

外はマイナス気温
寒いが・・ケルントナー通りから ステファン教会に向かって右手
ラウンシュタインガッセ へ
(ステッフェルという 現スーパー・マーケットの6Fが 最後の住まいで
 レクイエムを作曲中に亡くなった)

目的地に着く
既に15名くらいの人が 集まっている・・・・
狭い通りを 時々 バイクが煩く通る・・・煩いなー

ガラスケースに入ったろうそくが いくつも灯され ゆらゆら揺れ
集まった人々の顔を照らす・・・

時刻が迫り あの臨終の絵画の光景が目に浮かぶ
人々は無口になり・・・静けさが支配した。
遅れてMさんも合流。

やがて 誰かが地面に置いたラジカセから レクイエムK626 が流れ始め・・・
夜はふけて行く・・・

時計を見ると まもなく その時刻・・・
4分前に最後の「ラクリモザ」に入った

おっ 時刻を合わせたな!

1991年12月5日未明 0:55 「ラクリモザ」は途絶えた・・・
その瞬間 狭い通りに風がとおり過ぎ
いくつかのろうそくは 消えた。
皆 押し黙ったまま5・・7・・・10分

ラジカセから フリーメーソンの葬送音楽K477が流れ
皆 押し黙って各自感慨に耽っていた。

1:30ころ 表情が緩み 三々五々 散らばっていった。
モーツアルト1205_3

  • 次回のブログは12月6日のマルクス墓地でのお話
【2008/11/26 12:35】 | すみやCクラブ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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